さて、今回はその“恥しい”と思うことについて、もう少し語るわね。
アタシは手で口を隠さずにあくびをしている人を見ると「恥ずかしくないのかなぁ?」って思うの。
のどちんこも銀歯も丸見えなのに・・・。
だけど、電車やバスの中でちょっと物を食べたり、お化粧をすることは恥しいことだと思わないの。
無論、ローカル線や観光バスじゃなくって、都会を走る公共の乗り物の中でのことよ。
そして車内が空いている場合ね。
ビミョーでしょ?
アタシと逆の人、どちらも恥しい人、恥しくない人もいるでしょう。
きっと、これはアタシの親(特に母)の羞恥心に基づいているんだと思うの。
おまんこを掻いていて「やめなさい!」と叱られたあの女の子のように、大あくびをしていたアタシに「手で隠しなさい!」と言ったのでしょうし、電車の中でお菓子を食べている時には何も言わなかったんだと思うの。
よく“背中を見せる”なんて言うけど、口で教える以上に子供は親を観察しているかもしれないわね。
親が挨拶を交わしたり、お礼を言っていたり、お詫びをしていたり・・・その傍らにいて、言葉の意味は理解出来なくても、声のトーンや表情から、コミュニケーションのとり方や、物事の善悪を学んでいくのでしょう。
そして、大人に比べて、そして同い年くらいの子供に比べて「出来ない」「知らない」という“恥しさ”が人を成長させるのかもしれないわ。
これは“羞恥心”というより、むしろ“恐怖心”と言ったほうがいいかもしれないわね。
「自分だけが知らないんじゃないか?」
「自分だけが出来ないんじゃないか?」
こんな風に不安になったこと、皆さんもおありでしょう?
そして、それによって馬鹿にされたら、いじめられたら、クビになったら・・・実は羞恥心や、恐怖心が“行動を起こす基”になっているようね。
つづく