第29回ヒーローズ放送局
映画「ダビンチ・コード」でも取り扱われていた「キリスト」の「聖杯」。「最後の晩餐」に使ったとされるキリストの「聖遺物」。「ダビンチ・コード」では「聖杯」とは「王家の血脈」のであるとされていた。「キリストの血筋」。つまり「キリストの子孫」だ。
またこの「聖杯」を巡り様々な伝説や物語が生まれている。本当にそんなものが存在するかどうか自体現在でもわかっていない。だがその「ロマン」を追うものは数多い。
しかし「聖杯」の話ではない。
今回の放送局ではキリストの「聖遺物」の一つである「聖なる包皮」を追ってみたいと思う。
「聖杯」がキリストの「血」であるならば、「聖包皮」はキリストの「肉」である。
「聖なる包皮」とはいったいなんなのか?
ユダヤ人であるキリストは割礼を受けることになる。割礼とはつまり包茎にならないように「チンコの皮を切る」ことである。それはユダヤ人にとって特別なものではなく、ごく当たり前のことである。
その割礼の時に切り取った包皮が「聖なる包皮」として残っているという話なのだ。
実際に残っているかどうかは「聖杯」など他の「聖遺物」同様わからない。しかしその「聖なる包皮」を15~16世紀ころヨーロッパ中のキリスト教徒たちが探し求めていたことは事実らしいのだ。「聖遺物」としての「聖杯」はキリストが「使ったモノ」または「子孫」だが、「聖包皮」はまさにキリストの一部、キリストそのものだ。
「聖なる包皮」に関してこんな逸話がある。
”ある時、一人のキリスト教信心深いの少女が「聖なる包皮」を求め神に祈りを捧げていた。
「主よ。聖なる包皮があるのならば、どうか私の元へおつかわしください」
祈りが神へと届いたのか、少女の口の中に「包皮」が現れたのだ!
それを呑み込むと、たちまち少女の体になんとも言いがたい法悦が広がったという。
その味は「ゆで卵の薄皮のような食感で、甘い味がした」”
何で口の中なのか、何で少女はそれを食べたのか。なんともつっこみどころ満載な逸話であるが、また別の逸話でも
”聖ビルギッタという人もまたキリストの包皮を食べたことがあるらしく、
「包皮を呑み込むとき、とろけるほど甘味な味がした」と述べている。”
この二つの逸話を見ると「聖なる包皮」は「甘い」という共通点がある。そして二人も「食べて」いる。
なぜ?
それは恐らく「聖杯」が「キリストの血」であるように「聖包皮」は「肉」であるからだろう。「最後の晩餐」の時にワインを「血」といい、パンを「肉」と言っていた。つまり「包皮」は「パン」という発想なのだろうか?
しかし包皮の形は「輪状」になっている。「肉」というよりも「天使の輪」とも捉えることもできる。
「聖なる包皮」はまさに「聖杯」に勝るとも劣らない「聖なる物」なのは間違いなさそうだ。
だがそれはどこにあるのかはわかっていない。
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